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枕崎といえば、ついに駅員の話している言葉が理解できなかったところです。自分も理解されない日本でも一番難解な方言の地域に住んでいますが・・・ボックスシートで窓を開けて窓の小テーブルに物を置いてと当たり前だった風景が今はとても貴重です。自分が初めて指宿枕崎線に乗ったのは、指宿までキハ200がなのはな快速として投入されたころでした。指宿の国民休暇損に泊まり砂蒸し温泉を堪能した後枕崎まで出かけました。当時はキハ58とキハ28のコンビだったと思います。開聞岳が少し形を変えながらもずっと車窓の友でした。あれから駅も新しくなり移転したとのことで行ってみたいとは思うのですがおいそれと行くことはできず、仕事でも東京から先には行くことはまずないと思うので、はるかなる場所になってしまいました。かつては、大学時代関東からワイド周遊券で行ったものですが、東洋経済の記事にあるように、今のJRはお年寄りと外国人にばかりサービスして若者向けのサービスが全くないということです。かつては学割こそが最大の割引切符と称されたこともありましたが新幹線の料金が割引になることはなく、緑色ならえきねっと、青色なら5489というのがありますが、1か月前に申し込んでも当たらないこともあり使い勝手がいいものではありません。このまま乗らない人が増えていくのでしょうか。指宿枕崎線も、指宿から先が廃止されるかもしれないという危機もあるようで、災害がないことを祈ります。JRは最近災害を待っている節がありますので・・・
災害を待ってるというのは、毎回災害の度に存廃議論になってしまう事から容易に想像できます。それ以上に「無くして当然」という声が大きくなってきた事に驚きを隠せません。周遊券を片手に全国を旅した自由を知るととてもそんな事は言えないと思いますが。
移設前の枕崎駅の「南国の突端のひなびた昼下がり」的な情景が好きでした。吹上浜YHのヘルパーさんに「カツオのたたきなら、駅降りて左手の海鮮料理屋さんがオススメ」と言われて、鹿児島交通線に乗って同宿の仲間と初めて食べたのが良き思い出です。2年前、その時以来に訪れましたが、今の枕崎駅舎があるあたりって、この当時から広大な駐車場だったんですね。線路際に建っている2軒のお宅も未だそのまま現役で残っています。
まだ鹿児島交通が残っている頃ですか。国鉄と向かい合わせて止まってましたね。母の実家は枕崎から鹿児島交通で一駅、駕篭駅にありました。この駅の雰囲気は好きだっただけに、久しぶりに行った時なくなっていたのがショックでした
@@user-tabiichiro 田舎は鹿篭駅でしたか。当時は南多夫施駅とか薩摩久木野駅とか昭和20年代に無人化された木造駅舎が、ひと風吹けば吹っ飛びそうな風情のまま残されており、無人ながらもキハから降り立ったおばあさんや聖子ちゃんカットの女子高生数名が草ぼうぼうの改札口に消えてゆくいくシーンが未だに目に焼き付いています。一昨年加世田の鉄道記念館を廃止後初めて訪れ、昔の駅名標など当時の感動に浸ることができました。
キハ58、47の車内アナウンスが各駅停車というところが実態を表していて丁寧で好感が持てます。
@@ごんけす 車掌乗務はこの区間ではなくなりましたから、懐かしさ一入ですね
枕崎駅、今のタイヨースーパーの駐車場あたりになるんでしょうか。南薩線のあった部分の空間もなんとも言えませんね。時折出てくる国鉄バスもいい味を出しています。キハ65のエンジン音もすっかり思い出の彼方です..
タイヨーの前に灯台のオブジェがありますが、その前あたりが駅前広場でした
枕崎線でキハ65に当たったら往復したと思います。キハ65で枕崎発のは乗ったことがあったですが。西鹿児島直前の動画このシーンがとてもいいですね。
キハ65の発電エンジンがうるさいのが夏らしい風景で懐かしく思います。オールボックスシートで最近の九州の椅子撤去車両やロングシートとはえらい違いです。昔、山川-枕崎のJRバスに乗った記憶があるのですが、踏切に停まっていてこれまた懐かしい。ローカルの国鉄(JR)バスは2000年代くらいまでにほぼ全滅となってしまい、鉄道以上にひどい有様でした。
@@matmat6501 周遊券で乗れたので国鉄バスの長崎鼻経由に乗った事があります。末端区間でも3両、急行型、冷房付きは今と比べてもサービスが上ですね。夏休みらしい客層がまた懐かしく思います。いつもはうるさいキハ65を避けていたのに、この日はなぜかキハ65、しかも最後尾でもないのに乗っていた理由が思い出せません。
@@user-tabiichiro 最後尾でもないのに > 65は逆転器が入りにくい個体があり、しかも暴れるから運転しにくい、と言う話を聞いたことがあります。それでいつも編成の中央に連結されていたのでしょうか。
枕崎駅は97年に初めて行きましたが夜なのに駅舎内部は照明が無くて真っ暗でした唯一自販機の灯りだけが頼りという…キハ65はブニブニした感じの乗り心地が苦手だったのでキハ58の方に乗った事が多かったです…
駅舎の電気が消えてたんですね。僕は朝か昼しか知らないのでそれは驚きです。とはいえ想像はできます
当時の自分だったら、非冷房の47より冷房付きの65に乗ったでしょう。後で知ったことですが、キハ65はシートピッチが広いことや空気ばね台車であったのも違いとしてありましたね。
急行方優先ですね。キハ10系なら希少価値で乗ると思いますが
30年位前に指宿までは乗ったんですが、枕崎にはまだ行っておらず次回九州に行った時には完乗したいです。
@@Delzery6p 是非ご乗車下さい!鹿児島から直通の列車は2両編成なので余裕があります。どれに乗ってもキハ40系列なのでハズレはありません。新しくなってしまった枕崎駅以外は昔のままです。
初めて枕崎駅を訪れた時は、えらく古い駅舎で、駅名標もJRのものとは違うなと思っていました。いずれも鹿児島交通のものだと知ったのは、だいぶ後になってからでした。
筆書きのあの駅名版は味がありましたね。廃線後もしばらく車両が置いてあり「少し前は乗ってたのになあ」と思ったものです
凄い、沿線の風景が全く変わっていない、変わったのは人がいなくなった事だけ。
夏休み中なので多いのかしれませんが、日常的に使ってる風の人もいますね
キハ65は北海道に無い形式ですが、まるでキハ182のエンジン音にそっくりですね。
@@真智子関川 言われると、あ!そうだ!と思いました。181系とも同じじゃないですか?
動画とは関係無いのですがどうやら今月で高崎の機関車が全て引退する様で本日の臨時運行をもって旧客+DD51の組成が終了したらしいです。
Twitterでも上がってますね。機関車自体がなくなるとは、今後はあの事業用で牽引なんですね。イベントすら海外まで行かないと乗れない状況になりますね
旅さんも先日のHB‐E220系のリリース情報を既にご覧になられたと思われますが、日本の鉄道もガチで”終”わったものですね。今度のHB‐E200はロングシートどうこう以前に座席と窓すら殆どなく、よくこんな車両で旅客扱いしようだなんて感がられたものですね、緑のJRは・・・むしろGV‐E400系やH100形が可愛く見えるくらいです 世界的にみても、こんな旅客用に事業用車両?と思われるようなゲテモノ車両を作ってる日本くらいですよ😓
@@しまむら小学校 Twitterでは701系以来の最悪な車両と書かせてもらいました。そもそも窓の少なさからして旅客用に見えなかった。どう見てもレール試験車などの事業用でしよう。
複線電化された幹線と公団建設路線を除くと世辞にも保線状態が良いとは言えなかった九州も、民営化後の必要最低限の保守で辛うじて維持されている現状からみればマシな部類だったとは思える日が来るとは…ロデオのように揺れる列車と軌道上に夏草が生い茂る現在から喪った大事な物を実感します。
@@金澤華 そうですね。保線はどんどん省力化が進んでいるようにみえます。枕崎線が「日本一揺れる」と最近言われてますが、当時そんな呼ばれ方はしてなかったと思います。民営化30年、ローカル線はどんどん劣化してますね
枕崎といえば、ついに駅員の話している言葉が理解できなかったところです。
自分も理解されない日本でも一番難解な方言の地域に住んでいますが・・・
ボックスシートで窓を開けて窓の小テーブルに物を置いて
と当たり前だった風景が今はとても貴重です。
自分が初めて指宿枕崎線に乗ったのは、指宿までキハ200がなのはな快速として投入されたころでした。指宿の国民休暇損に泊まり砂蒸し温泉を堪能した後枕崎まで出かけました。
当時はキハ58とキハ28のコンビだったと思います。開聞岳が少し形を変えながらもずっと車窓の友でした。
あれから駅も新しくなり移転したとのことで行ってみたいとは思うのですがおいそれと行くことはできず、仕事でも東京から先には行くことはまずないと思うので、はるかなる場所になってしまいました。
かつては、大学時代関東からワイド周遊券で行ったものですが、東洋経済の記事にあるように、今のJRはお年寄りと外国人にばかりサービスして若者向けのサービスが全くないということです。
かつては学割こそが最大の割引切符と称されたこともありましたが新幹線の料金が割引になることはなく、緑色ならえきねっと、青色なら5489というのがありますが、1か月前に申し込んでも当たらないこともあり使い勝手がいいものではありません。
このまま乗らない人が増えていくのでしょうか。
指宿枕崎線も、指宿から先が廃止されるかもしれないという危機もあるようで、災害がないことを祈ります。
JRは最近災害を待っている節がありますので・・・
災害を待ってるというのは、毎回災害の度に存廃議論になってしまう事から容易に想像できます。
それ以上に「無くして当然」という声が大きくなってきた事に驚きを隠せません。
周遊券を片手に全国を旅した自由を知るととてもそんな事は言えないと思いますが。
移設前の枕崎駅の「南国の突端のひなびた昼下がり」的な情景が好きでした。吹上浜YHのヘルパーさんに「カツオのたたきなら、駅降りて左手の海鮮料理屋さんがオススメ」と言われて、鹿児島交通線に乗って同宿の仲間と初めて食べたのが良き思い出です。2年前、その時以来に訪れましたが、今の枕崎駅舎があるあたりって、この当時から広大な駐車場だったんですね。線路際に建っている2軒のお宅も未だそのまま現役で残っています。
まだ鹿児島交通が残っている頃ですか。国鉄と向かい合わせて止まってましたね。母の実家は枕崎から鹿児島交通で一駅、駕篭駅にありました。
この駅の雰囲気は好きだっただけに、久しぶりに行った時なくなっていたのがショックでした
@@user-tabiichiro 田舎は鹿篭駅でしたか。当時は南多夫施駅とか薩摩久木野駅とか昭和20年代に無人化された木造駅舎が、ひと風吹けば吹っ飛びそうな風情のまま残されており、無人ながらもキハから降り立ったおばあさんや聖子ちゃんカットの女子高生数名が草ぼうぼうの改札口に消えてゆくいくシーンが未だに目に焼き付いています。
一昨年加世田の鉄道記念館を廃止後初めて訪れ、昔の駅名標など当時の感動に浸ることができました。
キハ58、47の車内アナウンスが各駅停車というところが実態を表していて丁寧で好感が持てます。
@@ごんけす 車掌乗務はこの区間ではなくなりましたから、懐かしさ一入ですね
枕崎駅、今のタイヨースーパーの駐車場あたりになるんでしょうか。南薩線のあった部分の空間もなんとも言えませんね。
時折出てくる国鉄バスもいい味を出しています。キハ65のエンジン音もすっかり思い出の彼方です..
タイヨーの前に灯台のオブジェがありますが、その前あたりが駅前広場でした
枕崎線でキハ65に当たったら往復したと思います。キハ65で枕崎発のは乗ったことがあったですが。西鹿児島直前の動画このシーンがとてもいいですね。
キハ65の発電エンジンがうるさいのが夏らしい風景で懐かしく思います。オールボックスシートで最近の九州の椅子撤去車両やロングシートとはえらい違いです。昔、山川-枕崎のJRバスに乗った記憶があるのですが、踏切に停まっていてこれまた懐かしい。ローカルの国鉄(JR)バスは2000年代くらいまでにほぼ全滅となってしまい、鉄道以上にひどい有様でした。
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夏休みらしい客層がまた懐かしく思います。いつもはうるさいキハ65を避けていたのに、この日はなぜかキハ65、しかも最後尾でもないのに乗っていた理由が思い出せません。
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枕崎駅は97年に初めて行きましたが夜なのに駅舎内部は照明が無くて真っ暗でした
唯一自販機の灯りだけが頼りという…
キハ65はブニブニした感じの乗り心地が苦手だったのでキハ58の方に乗った事が多かったです…
駅舎の電気が消えてたんですね。僕は朝か昼しか知らないのでそれは驚きです。
とはいえ想像はできます
当時の自分だったら、非冷房の47より冷房付きの65に乗ったでしょう。後で知ったことですが、キハ65はシートピッチが広いことや空気ばね台車であったのも違いとしてありましたね。
急行方優先ですね。キハ10系なら希少価値で乗ると思いますが
30年位前に指宿までは乗ったんですが、枕崎にはまだ行っておらず次回九州に行った時には完乗したいです。
@@Delzery6p 是非ご乗車下さい!鹿児島から直通の列車は2両編成なので余裕があります。どれに乗ってもキハ40系列なのでハズレはありません。
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初めて枕崎駅を訪れた時は、えらく古い駅舎で、駅名標もJRのものとは違うなと思っていました。
いずれも鹿児島交通のものだと知ったのは、だいぶ後になってからでした。
筆書きのあの駅名版は味がありましたね。廃線後もしばらく車両が置いてあり「少し前は乗ってたのになあ」と思ったものです
凄い、沿線の風景が全く変わっていない、変わったのは人がいなくなった事だけ。
夏休み中なので多いのかしれませんが、日常的に使ってる風の人もいますね
キハ65は北海道に無い形式ですが、まるでキハ182のエンジン音にそっくりですね。
@@真智子関川 言われると、あ!そうだ!と思いました。181系とも同じじゃないですか?
動画とは関係無いのですが
どうやら今月で高崎の機関車が全て引退する様で本日の臨時運行をもって旧客+DD51の組成が終了したらしいです。
Twitterでも上がってますね。
機関車自体がなくなるとは、今後はあの事業用で牽引なんですね。
イベントすら海外まで行かないと乗れない状況になりますね
旅さんも先日のHB‐E220系のリリース情報を既にご覧になられたと思われますが、日本の鉄道もガチで”終”わったものですね。今度のHB‐E200はロングシートどうこう以前に座席と窓すら殆どなく、よくこんな車両で旅客扱いしようだなんて感がられたものですね、緑のJRは・・・むしろGV‐E400系やH100形が可愛く見えるくらいです 世界的にみても、こんな旅客用に事業用車両?と思われるようなゲテモノ車両を作ってる日本くらいですよ😓
@@しまむら小学校 Twitterでは701系以来の最悪な車両と書かせてもらいました。そもそも窓の少なさからして旅客用に見えなかった。どう見てもレール試験車などの事業用でしよう。
複線電化された幹線と公団建設路線を除くと世辞にも保線状態が良いとは言えなかった九州も、
民営化後の必要最低限の保守で辛うじて維持されている現状からみればマシな部類だったとは思える日が来るとは…
ロデオのように揺れる列車と軌道上に夏草が生い茂る現在から喪った大事な物を実感します。
@@金澤華 そうですね。保線はどんどん省力化が進んでいるようにみえます。枕崎線が「日本一揺れる」と最近言われてますが、当時そんな呼ばれ方はしてなかったと思います。
民営化30年、ローカル線はどんどん劣化してますね